DMM.comの広報とサッカークラブ・シント=トロイデンVVの広報を兼任する塩谷雅子さんは、DMM.comでのキャリアを時給950円のパートタイマーとしてスタートした、稀有な経歴の持ち主です。パート勤務を始める以前も、世間的にはアウトローともいえる、独特なキャリアを歩まれてきました。
そんな塩谷さんのキャリアには、DMM.comが求める人材のエッセンスが隠されています。行動力と自走力が伺える入社前後のエピソードや、正社員になってから、STVVの広報部長に上り詰めるまでのエピソードを語っていただきました。

就活全敗でも、夢を叶えた20代

——DMM.com全体の広報戦略の策定に携わるだけでなく、 ベルギー1部リーグの強豪サッカークラブ・シント=トロイデンVV(以下、STVV)の広報業務にも携わっている塩谷さん。まずは、入社の経緯からお伺いさせてください。

塩谷:入社した当時は広報でもなんでもなく、時給950円で働くパートタイマーでした。さらに勤務地は東京ではなく、金沢オフィス。夫の転勤を機に引越した金沢で専業主婦の自由さを持て余し職を探していたところ、DMM.comの事業所(金沢南事業所)が家から徒歩圏内にあることを知ったんです。


 

—— パートタイマーとして入社されているんですね。入社までの経緯について、詳しくお伺いさせてください。

塩谷:紆余曲折あっての今なので(笑)、少し長くなりますが学生時代のことからお話しさせてください。

私は中学生の頃からサッカーが大好きで、将来は新聞のスポーツ記者を目指していました。大学受験期に授業を休んで試合を観に行くほど、サッカーが大好きだったんです。

しかし就職活動は、あえなく失敗。いきたかった企業は、全滅でした。それでも記者になる夢を諦めきれなかった私は、就職活動をやめ、アスリートのマネジメントやPRを行う会社でアルバイトをすることに。業界や職種が近ければ、いつか夢が叶うだろうと思ったんです。つまり、“なんとかなるっしょ精神”ですね(笑)。

その会社では、記者として働くことはできなかったものの、スポーツ関連の業務に携わることができました。


 

—— 就職活動には失敗してしまったものの、夢だった仕事に近づくことはできたんですね。

塩谷:はい。ただ、やはり自分で取材をしたい気持ちが拭えず、雑誌の編集を行うプロダクションにアルバイトとして転職しました。並行してサッカークラブの公式ライターの仕事も行い、実務の経験を積みました。

お金にはなりませんでしたが、三浦知良選手など、ビックネームの取材をさせていただいたこともあります。その甲斐もあって、正社員としてサッカー専門誌の編集記者になることができました。


 

—— つまり、転職して夢が叶ったんですね。

塩谷:そうなんです!その後、結婚と出産をし、「家庭と両立できる仕事に就こう」と職を探し、日本スポーツ振興センターに就職しました。とても楽しく働いていたのですが、夫の転勤で金沢に引っ越すことになってしまい、そこで専業主婦になった形です。

しばらくは家のことだけをしていましたが、やはり社会とのつながりがほしかったですし、キャリアについて考えたかった。そんなときに出会ったのが、DMM.comです。

ダメ元での挑戦も、人生の転機に

—— 以前から、DMM.comのことは認知していたのでしょうか。

塩谷:知っていましたよ。亀山会長のインタビュー記事を過去によく読んでいたので、以前より興味はありました。ただ、当時金沢で募集していたのは、正社員のみ。私は子供が小さかったので、フルタイム勤務ができず、応募条件を満たしていませんでした。

でも「とりあえずなんとかなる」の精神で面接を受けにいったところ、「そういう人を採用したかった」と言われ、無事に働けることになったんです(笑)。パートタイムのセクレタリーとして入社をしました。


 

—— パートタイマーから現在の職位まで上り詰められたんですね! いつかは正社員になることを目指していたのでしょうか。

塩谷:当時はいずれ東京に戻ることになっていたので、正社員になることを目指しておらず、ずっとパートタイマーとして働くつもりでした。

正社員を目指したきっかけは、DMM.comの石川オフィスから新規事業をつくりだすことを目的としたビジネス研修に参加したことです。その研修では、市場調査の方法から事業立ち上げの手法を学び、他社とコラボしてアイデアソンを開催するなど、とにかく実り多い時間を過ごしました。
業務外の研修だったのですが、課題の量があまりにも多いんですよね。最初は80人ほどいたメンバーも、どんどん脱落していき、最終的には10名以下になっていました。

しかし、最後のメンバーまで残ることができたんです。大学生時代に就活で全敗して以来、これまで華のあるキャリアを歩いてきたわけではないですが、「自分にもやれるかもしれない」と感じました。

塩谷:子供ができ家庭と仕事を両立する現実も分かっていたので、仕事に関しては第一線を退いた気でいましたが、そこでもう一度、ビジネスパーソンとして挑戦したい気持ちが湧いてきたんです。36歳になる直前に「正社員にしてください」と上司に伝え、登用試験に挑戦し、正式に迎え入れていただきました。

えいや!と飛び出し、チャンスを掴む

—— 正社員になってから現在の職位に着くまでは、どのようなキャリア変遷があったのでしょうか。

塩谷:私が正社員になった当時は、ブロックチェーンブームの全盛期。DMM.comもその流れに乗ろうと、スマートコントラクト事業部を立ち上げるタイミングで、同事業部の採用強化に向けたランディングページの案件に携わることになりました。

事業部の社員に取材を行い、記事を執筆していたところ、そのご縁からスマートコントラクト事業部に異動。メディア担当として、オウンドメディアの企画立案、取材、執筆、イベント運営や外部企業との交渉など、幅広い業務を担当していました。その一方で上司の許可を得て、他事業部ではありましたがFootball事業部のお手伝いもしていましたね。

そんな矢先、スマートコントラクト事業部で組織改編が行われることになりました。そこで思い切って、Football事業部に異動することにしたんです。仕事内容は広報が中心で、広報としては未経験でしたが、以前からサッカーが大好きでしたし、記者の経験もある。分からないことだらけでしたが、こちらも“なんとかなるっしょ精神”を発揮しての挑戦でした(笑)。

—— STVVの広報としては、どのような業務に従事されてきたのでしょうか。

塩谷:広報になった当時、STVVの知名度はほとんどありませんでした。なので、最初の一年間は、「どんなに短くてもいいから、試合結果をスポーツニュースに取り上げてもらうこと」を目標に掲げていたんです。とにかく名前を知ってもらうことに徹していました。

そのために、サッカーの仕事をしていた頃の知人に毎週のように広報メールを送っていました。試合結果は速報性が大切なので、夜中の試合を観て、明け方まで仕事をすることも珍しくありませんでしたよ。とにかく泥臭く、がむしゃらな毎日でしたね。

私自身、それまで広報の仕事をしたことはなかったので、分からないことだらけでした。ですが、アウトプットから逆算して仕事を進めるプロセスは、過去に経験したメディアづくりの構造と同じ。石川でのビジネス研修で学んだ仮説検証を繰り返すロジックも非常に役立ったと感じています。ゴールに対してやるべきことを一つずつクリアしていくうちに、次第に任せてもらえる仕事の範囲も増えていきました。

以前は「これでいいですか?」と質問する機会が多かったものの、今では「こんな方法はいかがですか?」と提案し、自ら推進することも増えました。

活躍の鍵は夢とロジックの整合性

—— ご自身のキャリアを振り返り、DMM.comで活躍できる人材はどのような気質を持った方だと感じますか?

塩谷:大前提として、行動力が必要だと思います。その実、私がDMM.comに採用されたのも、正社員を募集していた職場にパートを志望して乗り込む行動力を買われたからです。

ほかにも、社内で開催されたビジネスコンテストに参加したときのこと。一次審査の前に、普段はお会いできない上役を相手に壁打ちができる機会があり、嬉々として話しかけたところ「相談してくれて嬉しいよ。こうして行動していることがいつか実を結ぶと思うよ」と言われたことがありました。些細なことではありますが、今振り返ってみれば、そうした積極性がDMM.comで活躍するために必要な素養だったんだと思います。

もう一つは、自ら手を挙げ、やりきること。私がスマートコントラクト事業部でメディア担当になったのも、Football事業部に異動できたのも、自ら手を挙げたからです。

まとめると、積極的にアクションを起こし、その上で目の前の仕事に向き合い、形にする真摯な姿勢が求められると思います。チャンスは得やすい会社だと思うので、その機会を活かして、成功か失敗かは別にして最後まで投げ出さずやりきることが大事。周囲の活躍している社員を見ても、その精神が強いと思います。


 

—— 最後に、DMM .comで働くことに興味を持っている方に向け、何かメッセージをいただけますか?

塩谷:私は30代手前で出産した頃、「もう社会の第一線には戻れない」とどこかで思っていました。しかし今は、私にとってベストな形で好きな仕事ができています。その背景にあるのは、「やりたい」と手を挙げた人に挑戦権が渡されるDMM.comのカルチャーです。

まだパート社員だった頃に、DMM.comの原点であるレンタルビデオショップ(KCアミューズメント:2020年閉館)を訪れたことがありました。小さなショップから六本木に大きなオフィスを構える会社になっていく変遷に想いを馳せたあの瞬間は、私のターニングポイントになっています。どんなに小さくとも、歩みを止めなければ成長できるのだと、石川の地で強く感じました。

やりたいことと、それを可能にするロジックさえあれば、年齢や肩書きに関係なく挑戦できる会社がDMM.comです。チャレンジある人に、チャンスあり。もし今、何かに挑戦したい気持ちがあるのなら、弊社は肌に合う環境なのかなと思います。

 

構成:倉益 りこ(モメンタム・ホース) 写真:高橋 団