DMMで活躍するキーパーソンのキャリアを紐解き、DMMという会社の中でキャリアを築く方法論を明らかにしていく連載シリーズ「チャレンジあるところにチャンスあり DMM式キャリア道」。キャリアグラフをもとに、インタビュイーの今日に至る人生を振り返っていきます。

今回はEC&デジタルコンテンツ本部に新設されたテックリード室の室長である奥野慎吾さんにインタビュー。「なんども挫折を味わってきた」という奥野さんは、なぜ再挑戦の場にDMMを選んだのか。挫折から自分の役割を見出した彼の人生から、DMMで働く人たちのエッセンスを探っていきます。

天才だと勘違い、待っていた挫折

—— 「なんとなくでIT業界に入った」とのことですが、どのようにしてキャリアをスタートされたのでしょうか。

奥野 慎吾(おくの しんご)EC&デジタルコンテンツ本部 テックリード室 室長
2020年4月11日入社、CTO室に配属。主にEC&デジタルコンテンツ本部の事業部支援に携わる。
11月11日、EC&デジタルコンテンツ本部テックリード室を組成し、室長に就任。


奥野:高校時代はバイオテクノロジーに興味があったのですが、遊びすぎて受験勉強をおろそかにしていたので、理系科目以外は壊滅的な成績でした(笑)。結局大学には落ちてしまったのですが、浪人して大学を目指すより少しでも早く稼ぎたいという気持ちが強かったのと、たまたま家にパソコンがあったこともあって、あまり深く考えることもなく地元の情報処理系の専門学校に進学しました。

ただ、現在のような専門学校とはイメージが違います。週に1日くらいプログラミングとアルゴリズムの授業がある程度のクラスで、他には簿記やワープロの使い方を教えてくれるくらいです。周りにも「情報処理で食べていくぞ!」という友だちはほとんどいなかったと思います。ただ、なんとなくプログラミングは性に合うなと感じていましたね。

そんな折り、先生が情報処理技術者試験の受験を紹介してくれました。勧められるがままに勉強してみたところ、合格。資格取得をきっかけに東京の会社に推薦していただいたので、就職活動は就一社目で早々に終えてしまいました。

就職したのは1998年、“ITバブル前夜”でした。当時は当然スマホもGoogleも、常時接続のインターネットすらありません。テレホーダイという23時~翌8時だけ定額で使えるプランがあったので、家に帰ったらひたすらダイヤルアップ(なかなかつながらない)、つながったら寝るのを忘れ、明け方まで調べ物をするような毎日でした。

まずはやってみて壁にぶつかったら調べるという勉強の仕方は性に合っていたようで、学生時代の勉強嫌いが嘘のように勉強しまくっていたように思います。


 

—— 就職後、キャリアグラフが「GOOD」方向へ触れています。新卒のエンジニアとして、順調なキャリアだったんですね

奥野:順調と表現していいのか分かりませんが、とにかく楽しくて必死にやっていたので、技術を身につけるスピードが周囲より早かったんです。周りの大卒や院卒の同期と比べたら年も若いし、教養もない。でも、技術に関しては勝負できそうだと燃えていました。

今思えば恥ずかしい限りですが、自分は天才かもしれないと錯覚していましたね。「同期や先輩にも負けてないぞ」と自分を奮い立たせ、新しいプログラム言語を使うことになったときには「3日あればマスターしてきます」と宣言。いつも先輩に発言をいじられていました。完全に黒歴史です(笑)。

当時、業務において「Webアプリケーション」という考え方はあまり普及しておらず、社内にも知見のある人がほとんどいなかったのですが、自分はPerlで掲示板をつくったりといったことを夜な夜な繰り返していたので、Webアプリケーションの案件が出てきたときに真っ先に手を挙げることができました。

その後も「できます!」とはったりをかましては、深夜土日で必死で勉強する、といったことをひたすら繰り返していたので、体力的にはしんどいときもありましたが、次から次への面白い案件に関わり続けることができました。


 

挫折経験に見出した、自分の役割

—— その後、今度はキャリアグラフに谷ができています。順調にキャリアを積み上げていた矢先、何があったのでしょうか?

奥野:技術を極めようと、社外でも活動するようになったんです。今ほど活発ではないですが、今でいう「もくもく会」のようなものがあったので、面白そうなものを見つけては参加していました。

そんなある日、パズルプログラミング勉強会というものに参加しました。ペントミノ(パズル)を各々好きな言語を使って解くというテーマだったのですが、参加者のレベルがあまりに高すぎて笑うしかありませんでした。その後の懇親会でも、パズルをプログラムで解くどころか、パズル作家の思考を取り入れて面白いパズルを生成するプログラムの話など、そこには自分の知らない世界がありました。

今思えばジャンルが違うだけな気もするのですが、当時は自分の平凡さに打ちのめされましたね。「これはゼロから鍛え直すしかない!」と思い立ち、勉強会で出会った人たちの会社に転職しています。

ただ、鍛え直そうと転職したのはいいのですが、個性が強すぎる同僚が多かったこともあり、技術力を磨く機会以上に、彼らとお客様との間に入る機会が多くなりました。技術力を磨くだけでなく、営業活動や原価管理などビジネス寄りの経験ができたのはいい経験になったと思います。

その後、上司が退職したことをきっかけに部長を任されることになり、マネジメントと売上目標に悪戦苦闘しつつも、事業計画を立てたり自社製品を企画立案したり、新しい経験に恵まれて充実していました。


 

—— しかしまた、キャリアグラフが降下しています。

奥野:仕事そのものは面白かったのですが、売上目標のプレッシャーから案件を多く抱えすぎたこともあって、ストレスから胃潰瘍を繰り返すようになってしまいました


 

—— かなりハードに働いていたんですね。

奥野:そうですね。技術以外も経験したので、「どうせプレッシャーと戦うのなら、自分で起業してみよう」と考えるようになりました。胃潰瘍になるわりには根が楽観的なんですよね。行動は早かったです。まずはフリーランスで案件をいくつか受注できたのですが、最初の入金があるまでの3ヶ月くらいの間は完全に無収入だったので干からびるかと思いましたね。会社のありがたみを痛感しました(笑)。

そんな折りに取引先の方に誘っていただき、3人で会社を立ち上げました。小さな会社ではありましたが、お客様に恵まれたこと、時代背景も良かったこともあって、早々に軌道に乗って業績も順調に伸びていきました。Web2.0やiPhoneの登場といった大きな変化のあった時期で、システム開発だけでなくコンテンツ制作や自社サービスの立ち上げなど多岐にわたる経験をすることができました。


 

キャリアのどん底を見た落ち武者時代

—— 起業して絶好調だった矢先、これまでにないほどキャリアグラフが下落しています。

奥野:イベントも手がける会社だったので、リーマンショックの影響が大きかったですね。受託開発と自社サービスで持ちこたえていましたが、その後の東日本大震災で大きな案件が頓挫してしまったのが決定的だったと思います。急成長中の取引先に常駐させていただきながら、出稼ぎに近い形で何とかつないでいた時期もあります。創業時期も同じくらいだったので、ありがたさと悔しさの入り交じった気持ちでしたね。

なんとかして起死回生のヒットを打とうと自社サービスにテコ入れしながら、挽回の機会をうかがっていましたが、残念ながらその機会は訪れませんでした。

その後、再びフリーランス一本に戻りました。有難いことにそのお客様にはその後もお世話になりました。最初のうちは惨めに感じることも多く、黙々と仕事をしながらも、昼休みや仕事終わりで黙々と受託案件や個人開発に打ち込んで再起をはかっていました。自分では“落ち武者時代”と呼んでいます(笑)。


 

—— その後キャリアグラフが大きくプラスに触れています。“落ち武者時代”をどのようにして乗り越えたのでしょうか。

奥野:実際のところ、惨めさは私が勝手に感じていただけで、周りは落ち武者にも優しかったです。フリーランスで生きていくにあたっていくつもチャンスをいただきました。感謝してもしきれません。

その後、少しずつ他のお客様も増えて、複数のお客様の間を行ったり来たり。他にもスポットで案件をいただけるお客様もあり、忙しくも充実した日々でした。クラウドが本格的に普及していく時期だったのですが、早い時期にAWSを活用した経験があったことも追い風となっていたと思います。

また、並行してさまざまな仕事をさせてもらっていましたが、どれも本業として全力で取り組んでいると、面白いものでノウハウが貯まるペースがどんどん早くなります。たとえばA社で発生したトラブルが、B社でも同じような形で発生する。それらを解決していくと、ノウハウがどんどんたまっていきました。「奥野に聞けば大体のことは解決する」「奥の手だね」と評価していただけたこともあり、やりがいを感じていました。

そのタイミングで、転機がやってきます。取引先のひとつに、スーパーコンピュータをサービスとして提供するスタートアップがあったんです。最初は月に数回お手伝いをするくらいだったのですが、学会等に同行してさまざまな研究者の方々のお話を伺う機会がありました。高校時代に憧れていた世界です。そこにITエンジニアとして関われることに喜びを感じ、フリーランスは一旦休業し、本格的に参画することにしました。


 

挫折から這い上がる、DMMでの挑戦

—— スタートアップへのジョインは、過去を振り返っても大きな挑戦だったと思います。

奥野:CTOとして迎えていただいき、最初の製品の開発からプリセールス、大手との提携や国内外の学会や展示会への出展など多様な経験をさせてもらいました。

最後の方は事業開発にシフトして挑戦していたのですが、期待に応えられる結果を残せず力不足を痛感することとなり、ちょうど任期を迎えるタイミングということもあって辞任を決意しました。先々どうするかは決まっていませんでしたが、事業開発の面白さに目覚めたこともあり、どこかで再挑戦できないかと漠然と考えていました。


 

—— そこで出会ったのが、DMM.comですね。

奥野:そうです。辞任後、最初に相談したエージェントの方にとても親身に相談に乗っていただいたのですが、これまでの経歴や今後挑戦したいことを話したら、「DMM.comしかない!」という話になりました。そこからはトントン拍子に話が進み、わずか二週間足らずで入社が決まっていました。本当に勢いのある方で(笑)。

DMM.comは事業開発に積極的な環境ですし、売上が100億円を優に超える事業がいくつもあります。これだけの規模がありながら、それでいてスタートアップ的な社風を持っていて、CVCもある。そんな環境は他を見渡しても見つかりません。なおかつテックカンパニー化を図っており、エンジニアとして貢献できることも少なくない。もうこれ以上ない環境だと思いました。入社後はさまざまな事業部を技術力で支援する全社横断の技術組織・CTO室に所属することになりました。


 

—— 今後、DMM.comで成し遂げたいことはありますか?

奥野:まずは仲間たちと一緒に、技術力をもって事業の成長に貢献することが当面の目標ですね。いずれは新規事業の立ち上げに挑戦したり、事業部長を目指したいという野望もあります。背景にあるのは、勢いのある若手が思う存分に挑戦できる環境をつくりたいという想いです。

私が新卒で入社した会社を辞めるとき、最初で最後の社長面談の機会がありました。社長との話の中で「面白いことをさせないと辞めてしまうが、面白いことをさせても、刺激を受けて辞めてしまう。奥野、どうしたらいいか教えてくれ」と聞かれて、返事に困ったことを今でも覚えています。

奥野:若い世代は好奇心にあふれています。新しい技術に触れ、世の中のいろんなサービスを見ていれば、広い世界に飛び出したい気持ちが出てくるのは自然なことだと思います。私自身も好奇心の赴くままに挑戦をしてきたので、そんな彼らを止めることはできませんし、むしろ応援してしまいますね

ただ、彼らが振り向いてしまうような面白い仕事を用意したいなとも思います。外の世界と較べてもなお魅力的な事業と組織をつくっていきたい。それが成し遂げたいことですね。

まだ入社して間もないですが、それでもこの会社の面白さを十分に感じています。これだけカオスな組織ですから、数年はおろか、数ヶ月後の未来も予想できない環境です。勢いのある若手たちが「外も面白そうだけど、中はもっと面白いぞ」と胸を張れる会社づくりに、自分の手で貢献していきたいです。

 

構成:オバラ ミツフミ(モメンタム・ホース) 写真:高山 潤也